1950年 | 「全酪販連」 が発足 |
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1951年 | 購買部 発足 |
脱脂粉乳の飼料化に成功 | |
1953年 | 子牛育成用の脱脂粉乳飼料を製造開始 |
1954年 | 名称を 「全酪販連」 から「全酪連」 に変更 |
1964年 | 横浜飼料工場を開設・稼働開始 |
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子牛用脱脂粉乳飼料を製造 | |
1967年 | 全乳代用乳「カーフトップ」 供給開始 |
スプレー・ドライヤーを導入 | |
1982年 | 関東飼料工場に新哺育飼料工場を併設 |
フィルターマット・ドライヤー製法を導入 | |
1992年 | 「カーフトップ」シリーズのリニューアル |
標準体系・早期離乳体系の2種類を導入 | |
1995年 | 「カーフトップET」 供給開始 |
1998年 | 「カーフトップF1」 供給開始 |
2000年 | 「21世紀の哺育・育成飼養管理技術」 の導入 |
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2003年 | 代用乳油脂源を牛脂から植物性油脂に変更 |
2004年 | 鹿島飼料工場に哺育飼料工場を移転・新設 |
2005年 | 「強化哺育体系」 を発表 |
「カーフトップ EX」 供給開始 | |
(株)日本ミルクリプレイサー 稼働開始 | |
2007年 | 「カーフトップEXブラック」 供給開始 |
2015年 | 「カーフトップZERO」 供給開始 |
2017年 | 「カーフトップ」供給開始50年を迎える |
「カーフトップ」を開発した全酪連は、終戦後、混乱期を迎えた酪農界に(社)全国酪農協会が創立されたことから始まります。同協会役員は、酪農(生産者)と乳業(メーカー)の双方から構成され、各地の酪農業協同組合の結成・組織作りに関する相談、協力など、“生産者団体”として尽力。また、同協会は昭和23年10月、全国の酪農生産者の代表から構成される委員会「酪農推進実行委員会」を設け、政府に対し、不足している飼料の輸入促進や「牛乳の総合供出制度(※)」の創設を求めることなど、酪農の復興・振興のため、全国的に運動展開しました。
全酪連の創立総会が開催された 元中央馬事会(馬事会館) |
1977年から30年間、 本所を設置した新畜産会館 |
このように、(社)全国酪農協会が生産者主体の新しい運動を展開していく中で、首脳部の間で後に「全酪連」となる「酪農生産者団体には飼料・経済分野を担当する中央組織が必要である」という考え方が高まり、同協会は「全酪連」設立準備の事務局として、昭和24年、第2回全酪連設立準備会にて目論文書や正式名称、組織作りの地域など具体的な草案をまとめ、同年10月24日には創立総会を開催。昭和25年1月15日、設立認可申請書を農林省へ提出。同年2月2日、設立の認可を取得、同年9月15日、設立登記を完了し、正式に「全酪販連」(後の「全酪連」)が発足するに至りました。
※供出制度とは戦前から戦後にかけ、国内の食料が不足している中、食管制度により政府が国民に対し、公平に米麦・牛乳・雑穀などを国民に分配するため、農家に対し自分達の使用量以外を全て政府に差し出させる制度のことです。主食である米麦などは政府に収める代わりに還元制度が存在しました。「カーフトップ」の 前身である脱粉飼料 |
「脱粉飼料」が供給開始された 当時のパンフレット |
昭和25年8月、全酪販連は大豆粕の払下げを食糧庁長官・畜産局長・油糧公団総裁あてに申請、設立登記完了後の10月に食糧庁長官あてに国内産とうもろこしの払下げ申請を行いました。そして、職員2名を採用し、本会の事業は本格的に活動を始めます。油糧配給公団の解散に伴い、放出された大豆粕の買い付けを行い、当時の11会員に供給。そのほか、関東地区各県の食料事務所が放出する国内産トウモロコシや政府所管の原麦から生産されるふすまの取扱いを開始しました。ここから今・現在まで続く全酪連の購買事業は始まりました。
昭和26年4月、大豆粕・トウモロコシ・ふすまのほか、政府所管の輸入麦(マニトバ小麦)の払下げへの取組みや自給飼料種子の取扱いを開始。同年11月には脱脂粉乳の子牛育成用飼料化の試みに成功。この成功が後の、皆様に愛され続けられている代用乳「カーフトップ」の礎となります。
購買事業では、昭和28年6月、共同出資による「協同飼料株式会社」の設立に参画し、同年4月に完成した同社横浜工場で、「カーフトップ」の前身となる犢(子牛)育成用脱脂粉乳飼料をはじめ乳牛用配合飼料の製造を委託、製造開始しました。
昭和29年8月19日、全酪連は「全国酪農販売農業協同組合連合会(全酪販連)」から現在の「全国酪農業協同組合連合会(全酪連)」に改称しました。
昭和36年7月10日には、今日に至るまで全酪連を表すマーク |
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昭和39年11月22日、子牛育成用の脱脂粉乳飼料「脱粉飼料」を製造する工場として、全酪連の直営飼料第1号・横浜飼料工場(横浜市戸塚区)を開設しました。
翌年、昭和40年には横浜飼料工場に犢(子牛)哺育飼料開発センターを併設。日本における哺育飼料のパイオニアとして体制を整備し、今日に至る全酪連の哺育・育成体系研究をスタートさせました。
昭和42年3月、横浜飼料工場にて日本初の全乳代用乳「カーフトップ」の製造を開始。当時、全乳代用乳は牛脂や植物油脂を粉末化し、原料の脱脂粉乳に混和する製造技術が要求されるものでした。そのため、全酪連は粉末油脂製造装置として、スプレー・ドライヤー(粉乳製造設備)を設置。全酪連乳業部門で蓄積された技術を応用し、それを可能にしました。
併せて、早期離乳用飼料「ゴールドカーフスターター」を開発。カーフトップとゴールドカーフスターターに従来品の脱脂乳代用飼料「脱粉飼料」とを組み合わせた「全酪連乳用子牛育成体系」を発表。なお、今日に至るまで皆様に愛されている「カーフトップ」の名称は、全酪連の会員・組合員からの公募により決定したものでした。
日本初の全乳代用乳 「カーフトップ」 |
供給開始当時の「カーフトップ」 の紙袋デザイン |
昭和57年10月31日、関東飼料工場に新・哺育飼料工場を増設し、全酪連第1号直営飼料工場として稼働してきた横浜飼料工場を廃止。カーフトップの製造を新工場に移管しました。新工場はスプレードライヤーとともに、フィルターマット・ドライヤー製法を取り入れたことにより製品品質の改善を可能としました。
平成4年にはカーフトップシリーズのリニューアルに伴う哺育・育成体系「標準体系・早期離乳体系」を構築しました。
平成7年、酪農家において収益確保のためのET(受精卵移植)子牛やF1(交雑種)子牛の生産が増えたことに対応し、同年4月から和牛子牛専用代用乳「カーフトップET」の供給を開始。また、平成10年には、F1子牛専用代用乳「カーフトップF1」の供給を開始しました。
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カーフトップがリニューアル された当時のパンフレット |
スプレー・ドライヤーやフィルターマット・ドライヤー製法を 取り入れた関東飼料工場 |
平成12年、「21世紀の哺育・育成飼養管理技術」を発表しました。また、子牛用スターターであるニューメイクスターターを改良。平成15年には平成13年のBSE発生を受け、カーフトップシリーズの油脂原料を植物性油脂に移行しました。
平成16年10月1日、鹿島飼料工場に哺育飼料工場を新設し、稼働開始。哺育飼料製造を担う工場として稼働を続けてきた関東飼料工場は、これに伴い同年9月30日を持って閉鎖。なお、哺育飼料工場新設の設備投資は、会員からの特段の理解を得て、増資を受けて実施したものでした。
平成17年1月、「強化哺育・育成体系」を発表し、鹿島飼料工場の新設備で製造する新製品「カーフトップEX(エクセレント)」の供給を開始しました。これに合わせ、アメリカのコーネル大学からマイク・ヴァンアンバーグ博士を招き、「全酪連酪農セミナー2005 強化哺育セミナー・ワークショップ」を開催。
平成20年、「“強化”哺育・育成体系」における和牛・F1子牛用強化哺育代用乳「カーフトップEXブラック」の供給を開始。平成27年には、全乳(販売不可能乳)バランス調整用代用乳である「カーフトップZERO」の供給を開始しました。
そして、平成29年、おかげさまで、カーフトップは供給開始から50年を迎えることができました。今後も、酪農家の皆様とともに日本の酪農を支える組織として、あり続けていきます。
現在のカーフトップ紙袋 デザイン |
強化哺育体系における 「カーフトップEX」の パンフレット |
強化哺育体系における和牛・F1用 「カーフトップEXブラック」の パンフレット |